俳優として憧れているのは池松壮亮さん。池松さんは人生をかけて演じる方なので、僕も人生を注ぎ込んで、1つ1つの役を全力で演じていきます(鈴鹿央士さん)
自身も出演やスーツアクターを務める藤井氏に、芸歴14年で見てきた中で、アクションにおいて最もすごいと思った役者を聞くと、『MOZU』で一緒だった池松壮亮を挙げた。
「松坂桃李くんと1対1のシーンがあって、その時に結構アクションション練習をしてもらったんですけど、本番に入って1発目が終わり、『もう1回行きます』ってなったときに、顔をしかめたんです。その日は痛そうにしながらも撮り終えたんですが、病院に行ったら『折れてた』って言うんですよ。それでも何の泣き言も言わず、1日ずっとアクションをしていたんです。次の日もアクションがあったんですけど、『(骨折のこと)誰にも言わないでね』って言いながらずっとやっていたので、この人はすごいなと思いました」(
藤井祐伍さん)
まだ演じることに対して自分の中で試行錯誤をしていた年齢でもありました。そんな中、以前ドラマで共演して以来、仲良しの池松壮亮君に「私、このドラマに出るの」と伝えて。そうしたら、お七が恋をする相手・吉三郎役として私を支えるために出演を快諾してくれたんです。「友達とプライベートで助け合えることは少ないから、こうして仕事で助け合えたらいいと思ってる」と言ってくれて。彼も当時のことをよく覚えているようで、今年に入っていつも集まるメンバーで新年会をした時に熱く語っていました。こんなに頼れる戦友と一緒に出演できたことが一番の思い出です。(
前田敦子さん)
池松壮亮ってさあ、面白かったですね。僕共通の知り合いがいてさ、美術部の人で、お偉いさんなんだけど、その人も池松可愛がってて(おそらく原田満生さん)、竜也一回池松と会って、飯食ってやってくれよって言われて、池松ですかあ?とかって言ってたんだけど、会ったら、なんか楽しいね、池松ってって二人で盛り上がっちゃった。電話番号とか交換しちゃって。池松くんと。(
藤原竜也さん)
池松壮亮はバランスの良い俳優だ。監督のような視線で作品全体を見渡し、自らの役割を的確に把握して演技プランを立てていく。そんなイメージがある。これまでの彼は、大ざっぱに分類すれば、エネルギーを内側に押し込めた抑制的な演技が魅力だったように思う。代表作の1本「映画 夜空はいつでも最高密度の青色だ」の寡黙な青年がその典型だ。あるいは、年上の女性と恋愛関係になる役が目立つのも、監督たちが彼の抑制を欲したのだと推察される。
たまたまなのか意図的なのか、最近の池松はエネルギーを解放する方向のキャラクターが増えている。もちろん抑制的な人物にも、ところどころに破れ目があって、エネルギーのほとばしりが垣間見える。前年の「斬、」も、抑制から解放へと向かう映画だった。
本年前半、「町田くんの世界」という映画があった。ここでの池松は、世の中を斜に
観ているゴシップ誌記者として登場するが、真っ直ぐで善良すぎる主人公の町田くんに出会ったことで、自らを恥じて町田くんを応援するようになる。その応援のテンションが異常なほど激しい。池松がエネルギーを自在に抑制・解放出来る俳優であることが、この映画を見ればよく分かる。
そして本年後半に現れた「宮本から君へ」で、エネルギーの抑制から解放へ至る振り幅の大きさは極限にまで達する。池松演じる宮本浩はある時、泥酔してしまい、愛する中野靖子(蒼井優)がすぐ横で強姦されたのにもかかわらず、熟睡していて気づかなかった。翌朝、明るい公園のベンチで、靖子地震から昨夜の出来事を聞かされるわけだが、ことの重大さを理解していくにつれて、池松の表情が変化していく。この変化は正視出来ないくらい凄絶だった。蒼井のアシストもあって、観客の心に深い刻印を残した。
そしてもちろん、マンションの非常階段で強姦犯と対決するクライマックスの生身のアクションに関しては、もはや言を弄する必要もないだろう。これで片がついたと何度も思わせながら、そこからさらに延々とエスカレートしていく暴力の応酬には、もう脱帽するばかりである。正しいとか、正しくないとかではない。ただただ剥き出しの暴力がそこにはあるのみだった。
ここまで強烈なキャラクターを演じてしまった後、俳優・池松壮亮は一体どこに向かうのだろうか。そろそろ監督への道にも目を向けてもらえないか。そんなことを思わせた。(石飛徳樹さん/ヨコハマ映画祭選評)
ひとり飛び抜けて素晴らしいのが、柏木次郎役で程久保高校の捕手を務める池松壮亮だ。池松は小学生時代に野球の上手い子が九州中から集まってくる強豪チームでセンターを守るバリバリの野球少年だったという(ほぼ日刊イトイ新聞「俳優の言葉。」より)。
とにかく投げる、捕る、美しいバットスイングからユニフォームの着こなしまで、ひとりだけ別次元のポテンシャルを発揮している。ぜひ傑作と噂の野球小説『ボス、俺を使ってくれないか?』(白泉社)の映像化の際には、主役の石原昌利役を演じてほしいものである。(
ソロシネマ宅配便「もしドラ」)
でも、本当に好きだなという映画、強烈な叱咤激励を感じたのは『宮本から君へ』(2019年)です。池松壮亮くんと蒼井優さん。ちょっと背筋が伸びますね。7年かかってるんです。池松ははっきり言うんですよ。90年代に浅野(忠信)くんとかオダギリ(ジョー)くんとか僕とかがミニシアターに遺してきたようなものを、自分がいまやりたいと。反骨というか。『宮本から君へ』を観たとき、映画人とか芸能人とかを越えて、一人の人間として負けるわけにいかないなと思いました。(
村上淳さん)
ちょうど一年前。
去年一番撮りたい俳優の1人であった
池松壮亮さんを幸運にも撮る機会を頂き撮らせて頂きました。時間の少ない中でも存在感は力強く、魂が震えたのを覚えてます。もっと捉えたい、そう思えたのは写真人生でも数少ないのかと思います。焦りや、緊張を超えた何かは決して言葉じゃ表現できないのかもしれません。少しでもその時間を共有できたのは人生の中でも最高のひと時でした。
「役者の後輩とかに相談されたらこの作品(宮本から君へ)とりあえず観てって言ってます。役者がどこまでやるか、生き切るか」(斎藤工さん)
「池松・染谷っていうのはやっぱり邦画の宝ですよね」(斎藤工さん)
池松君に会った時も、「ノーナレで作った作品のナレーションをしろと言われたら、やりにくいよね」という話をしましたね。ただ、ナレーションの内容自体がすごく考えられていて、必要最低限な言葉を池松君の落ち着いたトーンで語ってもらえたことで、逆にノーナレでやりたかった内容が入りやすくなっていると感じました。予備知識がない人が見たら「あれ?」と思うようなところをきちんと補ってくれる、いいナレーションが入っていました。池松君は「自分が(ナレーションで)関わったのは数時間だけなので、この映画についてどうこう言えるほど関わっていないけれど、それを見ていた山の中の森の1本の木みたいな感覚で、僕はそこに存在しました」と語っていました。また、自分のこれまでの暮らしや、コロナ禍で自分の俳優としての仕事を見つめ直す上で、自分が関わるべきタイミングで関われた作品と言われて、うれしかったですね。(
千松信也さん)
若い才能もどんどん出てきて圧倒されることもある。たとえば?そうですね……池松壮亮なんてすごいですよ。彼みたいな演技をしようとも思うけど、自分にはできないですよ。菅田将暉も脳のつくりが違うと感じるほど、いつも驚かされるばかりです。それに彼らは自分の考えを言葉にするのもうまいんですよね。新しいセンスをもっている彼らに学ばせてもらう部分もたくさんあります。(小栗旬さん)
もめごとはないんですけど、池松壮亮も真利子哲也も本気だからやり合うしかないんです。「こっちにしたほうがすんなりいく」とか、そんな中途半端な結論は出せるわけもなく、朝の5時まで話し合いという名のガチのぶつかり合いをしました。さすがに寝るかって思ったら、誰も引かないからもう1回話し合いが始まったりね。池松くんはまったくワガママ役者じゃなくて、むしろクレバーな方なんだけど、「宮本」に関しては折り合わなかったら降りるって平気で言うくらいの熱量でした。最初のオファーは7、8年前で、真利子さんは当初から池松くんを想定していました。自分が宮本を演じられるギリギリの年齢でやっと映画が実現したというのも、大きな思い入れの理由かもしれないですね。
池松くんも真利子さんもほかのスタッフも原作を読み込んでいるから、みんな“自分の思う「宮本」”があるわけです。それをそれぞれ主張していくんですが、原作者の新井英樹さんが一番大人で「みんなこの作品を愛してくれてありがとう。君たちの好きなようにしてくれ」と父親みたいでした(笑)。クランクイン前にみんなでさんざんやり合ったので、撮影が始まってからの衝突はなかったですね。いい歳こいたおじさんやおばさんが学生みたいにぶつかり合ったのはいい思い出です。
(今は)めちゃめちゃ仲いいです。ほかにもすごい熱量のスタッフが集まっていて、同じ釜の飯を食った仲間みたいな感覚ですね。ベタベタした関係性ではないですけど、ともに戦った仲間としてみんな「宮本」に誇りを持っていると思います。(
佐藤順子プロデューサー)
セブン銀行さんのCMも4年目に。グラフィックの世界観(ATMの人格化)をアニメーションで拡張しています。素敵なボイスの正体は、池松壮亮さん。前回の収録時には「よし、ATMくんにまた戻らなきゃ」とキュンとするお言葉も。無機物萌えに目覚めたという反応が励みになってます。(CMプランナー室屋慶輔さん)