「だれかの木琴」感想 by 情報局



想像の斜め上を行く面白さ

池松さん自身がインタビューや告知で強調していたので、予告編や宣伝文句から受ける印象とは違う作品なんだろうな、ということはある程度想像していましたが、その想像のさらに斜め上を行くような作品でした。こういった表現はそぐわないかもしれませんが、ものすごく面白い作品でした。

その理由はなんといっても登場人物にあると思います。常盤貴子さん演じる、微笑したまま問題行動を続ける小夜子はもちろん、それをどこまでも否定しない池松さん演じる美容師の海斗も、勝村政信さん演じる一筋縄ではいかない小夜子の夫も、佐津川愛美さん演じるロリータ趣味の海斗の恋人も、最後に意外な言葉をのこす小夜子の娘も、少ししか出て来ないようなキャラクターに至るまで、誰一人としてステレオタイプな人物がいませんでした。この人はさっきこういう行動をしたので、ここではこういうリアクションをするだろうなどと目処をつけていると、いちいち見事に裏切られました。

見終わったあとは当然「あそこは何故ああだったんだろう」といったさまざまな疑問が浮かんできます。それを考えるところまで含めてこの映画の醍醐味だと思いますが、考えたあと答えを「こうだ」と出し切ってしまうのもなにか少し違う気がします。完成披露試写会で司会者に「今この作品を世に出す意味は何か」ということを聞かれた東監督が、映画というのは理屈ではないのだ、ということをおっしゃっていたのがとても印象的でした。


「物語」よりも「人間」

今作を観る前に東陽一監督の過去作品を予習しようと、配信サイトなどで「絵の中のぼくの村」「サード」「橋のない川」「ザ・レイプ」「四季・奈津子」「化身」「もう頬づえはつかない」といった作品を観ました。これでもほんの一部で、年代や題材、主演俳優などによってそれぞれかなり色が違うし、人によって好きな作品が別れるように思いますが、どれもとても面白くユニークで、昔の作品でも少しも古さを感じさせず新鮮な驚きがあったのは、たぶん共通して、型にはまらない強い個性をもつ生き生きとした人物たちが、用意された物語やつくられた理屈を凌駕していくからだと思いました。 池松さんはよく「物語」より「人間」を描いた作品が好きだと言っていますが、まさに「人間」を描く監督だと思いました。



最近ヒットしている映画の中には、完成された強い物語があって、登場人物はその物語を補足する役割のため、わかりやすくステレオタイプに描かれているものが結構多いような気がします。そういう映画は気持ちよくカタルシスを得られて、意味も明快なため人にも勧めやすいですが、観ている間に心にひっかかりがたくさんできて、いつもは気にとめない人間の多様性や複雑さに気づかされ、見終わったあともずっとそれを考え続けることによって完成して行く「だれかの木琴」のような映画こそ、本当に豊かな作品なのではないかと感じました。


池松さんと海斗

ここらへんでそろそろこの映画の池松さんについて書きます。池松さんはよく、役柄を演じ分けることについて、憑依型ではなく、「自分の中にある要素を引き出してくる」といった言葉を使っています。俳優自身の人間性を消して役柄に入るのではなく、どんな役をやっていてもやはりそれは池松壮亮なのだというスタンスです。

東監督もおそらくそういう考えの方で、過去作品を観ても、その俳優さん本人が本来もっている資質をとても魅力的に引き出す監督だと思います。今回も常盤さんや池松さんという人間そのものを観察し、役柄に逆輸入させている感があります。 シザーを武士の刀と言うほどストイックに美容師という仕事を受け止め、他者(お客さん)に対して、常に誠実に接していようとする姿や、ゆるぎのない自己が垣間見えるところは、原作の海斗をすり抜けて、リアルな池松さんと重なりました。



いろいろとファン必見です

が、しかしみなさん(いきなり呼びかけ)、東監督が素晴らしいのは、そんな風に池松さんの内面の奥深さだけでなく、映像表現のプロとして、誰がみてもわかる表面的な魅力も引き出しているところにあります。

オープニングの朝もやのなかの自転車疾走…からの朝ごはんを彼女に作ってあげる…この一連のシーンのすばらしさは言うまでもなく、シザーさばきやダックカールさばきが本物にしか見えない美容師しぐさの池松さん、休憩室でマグカップ片手に息抜きする池松さん、居酒屋でニコニコ談笑する池松さん(しかもマスターは小市慢太郎さん!)、プールで水泳する池松さん(相変わらず美しいフォームで)、コンビニで買い物する池松さん(なかなか選べないで迷ってるし)、MOZUを彷彿とさせる小刀のシーン(ここは特に必見)、博多弁でお母さんと電話しちゃう池松さん(!!)まで…。これまで沢山の映画に出ていたはずなのに、こんなにファンサービス的な映像?の連発は初めてのような気がします。

つまり東監督は、池松さん個人の魅力を内面も外面もとてもよく理解し、その上で海斗というキャラクターに落とし込んでいるのだと感動しました。人気商売的な活動をまずしない池松さんなので「プライベートには興味ない、あくまで俳優としての池松さんが好きだ」という硬派なファンを目指している情報局も、これには目からウロコというか、「その手があったか」的な衝撃を受けました。

というわけで「だれかの木琴」さまざまな意味で本当に必見の作品だと思います。ながながと失礼しました。ここまで読んで下さったみなさまありがとうございました。

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